ブラック企業に勤務していろいろ考えてみた
今勤務している会社は日本でも有数のブラック企業として認知されている。
上層部もさすがにこれではマズイと思ったのか、数年前からやっと
社員満足度向上を掲げた施策や福利厚生の充実を標榜し始めた。
これに関しては、自分では効果測定出来ないので特に意見はない。
それよりも、そもそもそんな会社に長年在籍している
自分という一個人に大いに疑問を持たざるを得ない。
理由と思われるものは色々あるのだが、
生い立ちから追って書かなければならないので、今日のところは
”低学歴とソーシャルスキルの欠如と肉体・精神的タフさ”
が調和してしまっている(意味わからんw)と書いておこう。
さて、ブラック企業といっても巨大企業の場合は
さまざまな部署が存在するので、
その配属先によってブラック色の濃淡の違いがあるのかもしれない。
自分の所属先はブラック色が比較的薄い所ではないかと考えている。
ブラック度数が真っ黒だったら、徹底抗戦もしくは早期退職していただろう。
むしろその方が自分にはよかったのかもしれない・・・
さて、本ブログ記事では所属企業へのクレームを書き連ねる気はなく
ブラック企業の定義そのものへの疑問を投げかけたい。
自分の所属部署は入社時から人事移動があまり激しくないので
ある程度長い期間を同じメンバーで機能させているのだが、
個人・チーム共々に向上心をほとんど感じない。
(ご主人が家計の主な収入源となっているパート女性は省いた感想)
イメージ↓
目をギラつかせて、獲物を奪ってやろうというような人は見た事ない
ブラック企業の定義とはトップ画像のような
「横暴な会社が社員を奴隷のように働かせる」
今話題の吉本興業のようなイメージになると思う
だが実際、真のブラック企業の定義とは
「機能不全の会社が社員の成長機会を全く無視して、
道具か将棋の駒のように扱う」ことなのではないだろうか?
暴言や暴力が存在しない企業だとしても
向上心を刺激しない仕組みで成立している企業なら
自分の中では全てブラック認定である。
「毎日与えられた仕事をきっちりとこなすだけでいいですよ。
一定のルールに則って給料もちゃんと払いますよ。がんばろうね!」
はブラック認定
「毎日なんらかの挑戦をしよう。失敗してもいい。
結果何か新しい分野を開拓して成長していこう。もちろんたんまり儲けよう!」
だったら◎
だが、今はインターネットを介し個人が失敗と挑戦を繰り返しながら
世界と繋がってビジネスを展開出来る時代だ。
会社というあやふやな法人格に収入を依存して数十年経った。
今は一刻もこの状態から脱しなくてはならない。
正直、再スタートが遅すぎると感じる時もあるが
だがそれは昔のスピード感覚。
これからもとてつもない加速度で時代は動いていくはず。
この流れに乗るか弾かれるか。
これもまた試してみなければ分からない。