エクスポネンシャルライフ

青空と緑、ドライブとグルメ、別荘と小径

クルマというアートを乗るために残された時間

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先日、本ブログがリスペクトしている日本一のポルシェブログ

”ポルシェがわが家にやってきた”でまさに「悲報」と言えるような内容の記事がUPされていた。

www.panamera-life.com

世界中で広まる地球環境保持の機運の高まりから、ついに海外の主要国において

ガソリン・軽油を燃料とした内燃機関で動くクルマの販売が2030年頃ぐらいから

全て「販売禁止」になってしまうというかなり衝撃的な内容の記事だ。

 

ところで、当ブログの名称には「エクスポネンシャル」ライフという

日本人にはあまり聞き覚えのない言葉を使用している。

 

数学に疎い自分が説明するのもアレだが、命名の理由は要するに↓

ja.wikipedia.org

人生そのものの質を指数関数的(エクスポネンシャル)な上昇カーブを描くように

上向きにしていきたいとの思いが込められているのだが、

同時にこの上昇カーブは、ある日突然取り返しのつかないレベルまで物事が

進行してしまう危険性を内包しているある意味怖い意味でもあるのだ。

 

先日Twitter上でこんなニュースがトピックに上がっていた。

natgeo.nikkeibp.co.jp

気候変動の悪影響に関しては、すでに世界各国で警鐘は鳴らされており

様々な取り組みが為され”始めている”のだが、この記事によると我々の

想像を絶する早さで地球環境が変化しているという。

 

怖いのは、「一気に不可逆的な変化が起こる」という箇所で

一度変化が起こればもう元には戻らない、戻せないという事らしい。

 

このブログでは地球環境そのものについては一旦置いておくが

気になるのは、やはりクルマの将来だ。

 

幼少の頃、昭和生まれの自分はクルマのことを

「ブーブー」と呼んでいた記憶がある。

 

自宅のクルマや家の前の道路を走るクルマたちは皆、

エンジンを掛けるブロロロロというアイドリング音や、

ブゥーンという排気音を「奏でながら」走っていった。

 

こども時代の自分にとって、クルマは巨大で大きい音を出す異質の存在ではあったが

決して嫌な音だとは思わなかった。それどころが、ブゥーンという音を

奏でながら颯爽と走るクルマたちに惹かれて「ブーブー」「ブーブー」と

庭や部屋の中でひたすらミニカーたちと戯れていたものだ。

 

今の今までクルマ嫌いの男の子というのは聞いたことがない。

 

だが、自分の子供時代に巻き起こった空前のスーパーカーブームの

時代を経て現在もなお輝き続ける「ポルシェ」「ランボルギーニ

のあのエグゾーストノートがもう10年程度で消えてしまう・・・

 

この素晴らしい音を奏でるクルマももう10年位で消えてしまうのか・・・

 

 

つい最近、近所に住む親戚が比較的高級なハイブリッド車を購入した。

 

お酒を飲まない自分はたびたび親戚一同の送迎などの運転手として活躍するので

クルマの運転に慣れて欲しいとの依頼があり、親戚の家に数回訪問して運転の練習をす

ることになった。

 

軽い気持ちで返事をしたのだが、親戚の家にクルマを見にいって開口一番

「取扱い説明書を貸してください。今日は乗れませんw」

 

いままで乗ったクルマは仕事で乗るものも含めて大概はどんなに大きかろう小さかろう

が、すぐ運転出来る共通性があったのだが・・・操作方法が違う、違いすぎる、

新車に長らく触れていなかったせいもあるのだろうが・・・それにしても違う。

 

ところが、自分にとってこんなにも先進的な「ハイブリッド車」はもちろんの事

プラグインハイブリッド車でさえもが将来的に販売禁止になってしまうのだ・・・

blog.evsmart.net

もはや「ブーブー」を買う事や乗り続ける事が出来なくなる時代に

いつのまにか突入していたのだ。

 

長らく内燃機関の発明から世界の構造を大きく変えてきた自動車産業

審判が時代終了のホイッスルを口に咥え、時計をチラチラ見始めた今。

 

もはや運転を楽しめる夢の時間はすでにロスタイムに「突入していた」事に

戦慄を覚えた。

 

 GT3の咆哮を一度も経験しないまま、フェラーリサウンドを奏でないまま

AMGの野太いV8の叫びを聞けないまま人生が終わる可能性がある現実。

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最近発表されたポルシェタイカンやテスラの「キュイーン」という高音質のノイズは

決して嫌いなわけではない。海外ドラマ好きの自分としてはスタートレックの構築して

いる世界が徐々に近づいているようにも思えて楽しみでもある。

 

それでも死ぬまでに一度はメカニカルな「ノイズ」に包まれながら思う存分

サーキットを走ってみたい。

 

だが、過去に存在した名車の数々を展示する自動車博物館にはそう遠くない将来、

「過去存在した、”道路”上を騒音と排気物質で満たし数えきれない多くの人を殺傷して

きた悪魔のような装置」として陳列される日が来るのかもしれない。

 

そして、おそらくその日は想像以上に近い。