エクスポネンシャルライフ

青空と緑、ドライブとグルメ、別荘と小径

死ぬまで生きよ

年末の日本に日産自動車元会長 カルロス・ゴーン氏が保釈中の身でありながら、

ご両親の出身国であり本人も国籍を持つレバノンへ極秘に出国していたという報道が駆

け巡った。

 

自分はツイッターのトレンドでこのニュースを知ったのだが、最初にまず思ったのは

「自分がいるこの世界(ワールド)はつくづく行動する者に味方する世界なんだな」

カルロス・ゴーン氏の取った行動に感嘆にも近い感情を持った。

 

逃げるは恥だが役に立つ

 

 

 

話は変わって数日前、これもツイッターのトレンドに#戦国武将総選挙がトップになっ

ていたので調べてみると、地元である長野県東信地域の戦国武将「真田昌幸」が第18

位、「真田信繁(幸村)」に至っては豊臣秀吉徳川家康といった天下人2人を抑え堂々の

第4位で、親子で戦国武将総選挙にランクインするという快挙を成し遂げていた。

 

早速ネットで動画を見てみたが、全ての武将のエピソードの中でも贔屓目なしに真田家家訓が心に響いた。

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話はさらに飛ぶが、実は今回のブログ記事を持って今年6月から再挑戦したブログ更新

を停止する事とした。

 

当初の計画だとブログをまずは始めてみて色々と試行錯誤を繰り返し、ブログ記事

の内容をGoogleアナリティクスなどからのフィードバック分析からブラッシュアップし

ていこうと考えていた。

 

ブログ開始当初にはロペライオ・チャンネルの川久保さんや日本一のポルシェブロガー

Minaさんに当サイトをご紹介いただくなどの効果で大幅なアクセス数の増加があり、

多くの方々の目に触れる機会が出来た。

しかし一度は当サイトに訪れていただいた方々もそのまま留まってはいただけなかっ

た。低品質な記事内容や需要に合わない記事のせいだろうか、開始6ヶ月ではてな読者

数0という数字が当サイトの現状を物語っている。

 

現在はアクセス数が日に0〜5程度しかなく、ブラッシュアップどころか根本的な部分での見直しが急務の状態だった。

 

ブログ開始に伴いツイッターも再開してみたが、そもそも自分が実生活での人間関係な

ど「拡散する」「拡げていく」ということが異常に不得意な人間であり、それにも増し

て将来的には数千・数万人の皆さんを惹きつけるだけの際立った「武器」を持たないこ

と、そして今後もサイト上や実生活でそのような「特別な武器」を持つのは今の所難し

いだろうという自分に正直な判断をした結果、ブログ停止を決断した。

 

また、テーマ探しに疲れ、ブログ執筆を楽しめなかった自分がいたのも事実だ。

 

ただし、今年ブログを再開するという行為は本当に些細なものだったが「小さいが確実な行動」ではあったろうと思う。

 

自分は現在、生活の糧を自分の体を物理的に動かす事による文字通り「肉体を動かす労

働」によって時給千数百円を積み上げて日々生活しているそう若くもない独身男性で、

いわゆる社会の下層に属する部類の人間だろうと思われる。

 

その不安定な状況を打破する為に、ブログという全く別のシステムを構築して、そこか

ら収益を生み出そうという判断自体は決して間違ってはいなかったと思う。

 

ただしそれが、効果的な行動だったか?と問われれば、そうだったとは決して言えない。

 

かたや善悪の垣根を超越し、カルロス・ゴーン氏は自らの資金力と頭脳・人脈など本人

の持つありとあらゆる能力を駆使し、まるでドラマか映画のストーリーを彷彿させるよ

うに日本脱出を成功させた。

  

存続窮地だった日産自動車を世界中の公道を縦横無尽に走れるまでにV字回復させたよ

うに

どんな状況に陥っても物事をなんらかの形で常に成立させ、しぶとく生き残る人間は確かに存在するのだ。

 

表裏比興の者と蔑まれた真田昌幸と今回のカルロス・ゴーン氏の今回の行動。

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ちょうどブログ停止を決めたこのタイミングで、ほぼ同時に真田昌幸の言葉とカル

ロス・ゴーン氏のニュースに出会うのは正直精神的にこたえるものがあった。

 

どんな手段を使っても成果を出す男たちと出せない男。

 

自分の無能を全面的に認めざるを得ない。

 

と同時に、今後ありとあらゆる手段を用いてもなんとしても絶対に生き残って成功して

やろうというギラギラした気持ちと欲求・欲望はさらに高まった。

 

ふざけんな!バカ野郎どもに囲まれたまま、このままで人生終われるか!

 

今年このブログを再開するきっかけになった日本一のポルシェブロガーMinaさんの年末

最後のツイートはこうだ。

 

 Minaさんとご主人が心酔する吉田松陰の言葉

「諸君、狂いたまえ」

 

ご家族も含め、公私ともに成功者と言える方の年末最後のツイートがこれだ。狂ってるw。そして凄い!

 

将来の自分がどうなるかは全くわからないが、少なくとも今年最後に自分らしい座右の銘と呼べる言葉を発見できた事とそのタイミングに感謝したい。

 

 真田家 家訓

「死ぬまで生きよ」

 

いままでこのサイトを訪れていただいた皆さん、本当にありがとうございました。

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人生ゲーム

年末のクリスマス商戦により増税で冷え込んだ市場は「一時的」だが活況を呈している。

 

とはいえクリスマスなどのイベント事とは人生のほとんどの期間を無縁で過ごしている

自分にとって、街のおもちゃ売り場に寄る事はほとんどない。

 

が、実は以前は勤務先の販路拡大で本格的におもちゃを売る仕事に携わっていた。

 

当時はおもちゃ売り場の整備・販売に加え、東京のおもちゃ問屋街に定期的に直接仕入

れに出向いていた事もあり、現在でもある程度の知識は持っている。

 

12月のクリスマス直前の平日、暇つぶしも兼ねて近所のトイザらスに出向いて年末の客層の動向や人気商品の在庫状況、店内の展示スペースの規模などを久しぶりに業界目線で見てみる事にしてみた。

 

当日は客数も少なく自分が子供時代に感じたクリスマス直前の街のおもちゃ屋さん

のキラキラした輝きや熱気のようなものは一切感じられない。

せいぜい任天堂スイッチのコーナーに人がまばらにいた程度。

 

現代ではスマホのゲームがほとんどの子供たちの2つの目をすっかり奪ってしまってい

るようだ。また今人気のおもちゃは全て品切れ状態らしい。となれば購入ルートはネッ

トオークションかプレミア価格がついた個人取引になり、おもちゃ屋に来る理由はさら

になくなる。

 

 閑散とした店内をざっと流し見て帰る前に、ふと「人生ゲーム」がまだ現役でいる事を

微笑ましく思いながら妄想にふける。

 

10数年前にプレイステーション版の人生ゲームをプレイしたのが最後だから、ボードゲーム版をやったのはいったいいつまで遡ることだろう。

 

一瞬、人生ゲームを久しぶりにやりたいと思ったので買ってみようかと思ったが

思い直した。なぜならボードゲームのプレイ人数は大概最低2人からなので1人では基本

的にはプレイできないのだ。

 

1人でルーレットを回して落語みたいに違うキャラを演じながらやるという変則的な事

もできない事はないのだがw、それはあまりにも虚しすぎる光景だ。

 

 ふと、人生を対戦ゲームとして捉えるのではなく協力ゲームとして捉えてみると、不思議と同時にプレイする人数は2人から4人ぐらいの中で収まるように感じた。

 

配偶者・恋人、友人か相棒、ビジネスパートナー、子供1人〜2人などなど・・・・

 

そう考えてみると人生ゲームの箱書きにある「2人〜4人用 6才以上向き」という文言はかなり深い意味を帯びているように思えた。

 

 

 

ところで、ウォーレン・バフェットはよく車を使った例え話をする。

ウォーレン・バフェット氏になる (字幕版)

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もし私が君たち一人ひとりに

好きな車を買い与えると言ったとしよう

うれしいだろ(笑)?

色も選んでいい

リボンをつけて明日には家に届けよう

 

ただし一つだけ条件がある

君は選んだ車に一生乗り続けなければならない

生涯、その車以外は乗れないんだ

そうと知れば、君はその車を大事にするだろう

 

私が言いたいのは

車は買い換えられるが

肉体と精神は替えがきかない

君たちは与えられた肉体と精神を

一生、運転し続けるんだ

 

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人生ゲームのコマ フロントの特徴的な造形からどうもポルシェがモチーフのようだ

 

さて、ウォーレン・バフェットのように自分の肉体と精神を一台のクルマとみなすな

ら、あなたはその車の同乗者にはいったいどんな人を選ぶだろう?

 

セダンなら4人乗りが普通で数もおおよそ推奨プレイ人数にぴったりだ。

 

バフェットを真似るなら、同乗者も一度決めたら二度と変える事は出来ないことにして

人生の同乗者の人数は自分を入れて2人から4人までとしてみる。

 

慎重に選ぶ?タイミングがいい時に選ぶ?それとも吟味して選ぶ?

よく考えてみてほしい。

 

人生の早いうちから、素晴らしい同乗者に出会うことに勝る幸運はないと

思う。実際、以前ブログで記事にしたが億万長者の実に90%は既婚だ。 

tokyomesen.hatenablog.com

 

結婚した者同士の信頼関係によって人生のあらゆる場面に相乗効果を生むのは理にかな

っている。

 

ところが今の日本は自分も含めた生涯未婚者と呼ばれる層が増える一方で衰える気配は一向になく、特に男性は驚異的な速度で独身化が進んでいる。

news.yahoo.co.jp

人生を人生ゲームとして捉えるなら、同乗者はいる事に越した事はない。

億万長者たちを参考例にしても、成功確率は実際に高まるだろう。

だが・・

ミッドナイト・イン・パリ(字幕版)

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ウッディ・アレンの名作、”ミッドナイト・イン・パリ”で主人公は価値観の合わない婚

約者とその両親とのパリ旅行を通じて、本当に自分が求めていたものを知る事になる。

そして彼は旅の最後に”ある選択”をすることになるのだが・・・。

 

ウォーレン・バフェットの言う通り、自分の肉体と精神は一生に一台だけの替えのきか

ない車に似ている。とするなら、その大切な車を共有する同乗者の選別だけは絶

対に手を抜いてはいけないはずだ。

 

そう考えてみると、適当に選んだ同乗者とのつまらない道中が続いてゴールするより同

乗者不在の気ままな道中も悪い話ではないように思えてくる。

 

まあ少なくとも、自分のこのブログ記事のようなトイザらスで一瞬浮かんだ妄想にしば

らくは付き合ってくれるような心の広い方でないと同乗は無理だろう。

 

日本の生涯独身率はまだまだ下がりそうにない。

0勝0敗

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可もなく不可もない普通の人生を生きていくと言うのなら、その時の流れに身をまかせ

逆らわずに生きていくのが楽に違いないし安全な道だろう。

 

実際このスタイルで生きている人たちが最も多いように感じる。

 

ただし、この世界で秀でよう、成功しよう、もっともっと上を目指そうと思うなら、

少なくとも自分の強みはしっかりと理解しておかなければいけないだろう。

 

もしくは当人が自分の強みに気づいていなくても、周りがその強みを最大限に発揮でき

るような環境を整えてあげる事は必須のように思える。

 

新しい家を建てる時に、最も重要な基礎工事・土台の部分が人間でいうところの

「強み」になるのではないだろうか。

 

ところがその「強み」が仮に見つかったとしてもそれが成功に繋がらない場合がある事

を最近改めて知る機会があった。

 

長野県のJリーグチーム松本山雅FCは昨年のJ2優勝を受け今年J1リーグ

に2度目の復帰を果たしたが、2019年シーズンは全18チーム中17位という結果に終わり

前回と同様にJ2リーグに自動降格という形でシーズンを終えた。

 

降格の原因として酷いボロ負けが多かったり、選手のやる気のなさが目立ったりするの

なら、降格は当たり前の事と捉えられるのだが実際にはその逆で、シーズンを通して

選手たちはよくやったと思えるような内容の試合ばかりだった。

 

以下にJ1全34試合終了時点の松本山雅FCの試合結果を列挙してみる。

 

J1 18チーム 全34試合

勝利             6    (18位)最下位

引き分け    13 (同1位)

負け           15 (同9位)

得点           21 (同18位)最下位

失点           40 (同11位)

得失点差   -19 (同14位)

平均得点    0.6   (同18位)最下位

平均失点    1.2   (同11位)

 

対戦相手が必ず1チームは存在するという事とたった34試合しかないゲームを

人生という長いスパンのゲームと比較するのは乱暴だとは思うが

参考になる部分もあると思うのでお付き合いいただきたい。

 

上記の数字を見てみると、はっきりと分かる事がある。

 

負けない、では物足りない

 

得点数がダントツ最下位である事が響いて、勝利数も最下位。

勝ち数と得点数は見事に相関している。

 

問題は全34試合のうち4割近くが引き分けなのだ。(引き分け数1位)

 

サッカーは攻撃と守備のバランスが破綻すれば、大量失点に繋がる。

 

攻撃的過ぎれば守備がおろそかになりやすいし、

守備的になり過ぎれば、防戦一方で疲弊しやすくもちろん試合に勝つ事は出来ない。

 

松本山雅FCは昇格チームでありながら、資金力が豊富なJ1の攻撃力を

合格点以上のレベルで抑えたといってもいいと思う。

 

選手全員の戦術理解度と組織力、試合終了まで球を追い続ける走力・体力が

活かされ、松本山雅は確かに「守備力」という強みを持ってはいた。

 

たった1点が勝敗を決めるサッカーにおいて高い守備力は長いシーズンに

渡って大きな武器となる。

 

実際に負け数9位・失点数11位は立派な数字で、これだけなら余裕で残留チームレベル

だ。内容的にほぼ90分間防戦一方の試合もあったろうが、それでも負けない試合運びを

していたように思う。

 

ところが、勝ちでも負けでもないグレーな引き分けがあまりにも多い為に

結果、得点も多いが失点も多い「粗いチーム」の後塵を拝する事になった。

 

緻密に構築した戦略や戦術や選手個々の体力やテクニック等のあらゆる要素も

1点の重みには及ばないという結果だ。

( ちなみに松本山雅FCの引き分けた13試合の内、2試合をそれぞれ1点ずつ入れて勝利していればJ1に残留していた計算になる。)

 

ちょっと視点を変えて、人生全体をひとつの試合と捉えてみると

果たして「引き分け人生」の人たちがかなり多いように見受けられる。

 

自陣に下がって、相手の攻撃をたゆまぬ努力をもってして受け止める。

狙いは勝ちではなく勝ち点1をもぎ取る「引き分け狙い」の人生。

 

引き分けの勝ち点1を積み上げて、人生を最後まで逃げ切ろうという戦略。

 

ところが、成功者たちは違う戦略を持って人生に臨んでいるように思える。

 

順位の激しい浮き沈みや、大量失点のリスクも計算に入れながら自らの強みを最大限活

かして常に攻撃的な試合運びをする。

 

一勝九敗 (新潮文庫)

一勝九敗 (新潮文庫)

  • 作者:柳井 正
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: 文庫
 

 

ユニクロ創業者 柳井 正さんのベストセラー「一勝九敗」。

 

柳井さんの順風満帆にも見えるビジネスもせいぜい一勝九敗くらいのものだろうという

深い意味が込められた題名である。

 

自分が大きく一つ勘違いしていた事がある。

 

自分はてっきり生きていれば勝負の機会は何回かは自動的に来る、そのうち一回でも勝

ちを拾えれば良いのだと思っていた。それは大きな勘違いだった。

 

人生にはサッカーのように対戦相手がはっきりと決まった日程は存在しない。

 

自らが何に対して挑戦をするのか、日時や場所を意図的に組み込まない限り

勝ち負けも発生しない。

 

普通の人たちは挑戦の機会を人生に組み込まないので、大きな成功も失敗も経験しない

まま0勝0敗で人生を終える事になる。

 

松本山雅FCは今年本当に頑張った。

 

が、引き分けを重ねた結果勝ちを拾えず来年J2に降格する事になった。

来年はまたJ1昇格の挑戦の1年になるだろう。

長年松本山雅を率いてきた監督も退任し、厳しい戦いが予想される。

 

だが、自分たちに攻撃力が足りない事実はしっかりとフィードバックされて

新たな戦術を模索し試行錯誤する事になるだろう。

今後の大きな飛躍に繋がるキーワードを得た形だ。

 

ひるがえって自分や成功を願う人たちはどうだろう?

引き分けどころか、そもそも挑戦自体しているのだろうか?

 

負けない、では物足りない。

でもその前に挑戦する機会を自ら作り出さなければいけない。

クルマというアートを乗るために残された時間

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先日、本ブログがリスペクトしている日本一のポルシェブログ

”ポルシェがわが家にやってきた”でまさに「悲報」と言えるような内容の記事がUPされていた。

www.panamera-life.com

世界中で広まる地球環境保持の機運の高まりから、ついに海外の主要国において

ガソリン・軽油を燃料とした内燃機関で動くクルマの販売が2030年頃ぐらいから

全て「販売禁止」になってしまうというかなり衝撃的な内容の記事だ。

 

ところで、当ブログの名称には「エクスポネンシャル」ライフという

日本人にはあまり聞き覚えのない言葉を使用している。

 

数学に疎い自分が説明するのもアレだが、命名の理由は要するに↓

ja.wikipedia.org

人生そのものの質を指数関数的(エクスポネンシャル)な上昇カーブを描くように

上向きにしていきたいとの思いが込められているのだが、

同時にこの上昇カーブは、ある日突然取り返しのつかないレベルまで物事が

進行してしまう危険性を内包しているある意味怖い意味でもあるのだ。

 

先日Twitter上でこんなニュースがトピックに上がっていた。

natgeo.nikkeibp.co.jp

気候変動の悪影響に関しては、すでに世界各国で警鐘は鳴らされており

様々な取り組みが為され”始めている”のだが、この記事によると我々の

想像を絶する早さで地球環境が変化しているという。

 

怖いのは、「一気に不可逆的な変化が起こる」という箇所で

一度変化が起こればもう元には戻らない、戻せないという事らしい。

 

このブログでは地球環境そのものについては一旦置いておくが

気になるのは、やはりクルマの将来だ。

 

幼少の頃、昭和生まれの自分はクルマのことを

「ブーブー」と呼んでいた記憶がある。

 

自宅のクルマや家の前の道路を走るクルマたちは皆、

エンジンを掛けるブロロロロというアイドリング音や、

ブゥーンという排気音を「奏でながら」走っていった。

 

こども時代の自分にとって、クルマは巨大で大きい音を出す異質の存在ではあったが

決して嫌な音だとは思わなかった。それどころが、ブゥーンという音を

奏でながら颯爽と走るクルマたちに惹かれて「ブーブー」「ブーブー」と

庭や部屋の中でひたすらミニカーたちと戯れていたものだ。

 

今の今までクルマ嫌いの男の子というのは聞いたことがない。

 

だが、自分の子供時代に巻き起こった空前のスーパーカーブームの

時代を経て現在もなお輝き続ける「ポルシェ」「ランボルギーニ

のあのエグゾーストノートがもう10年程度で消えてしまう・・・

 

この素晴らしい音を奏でるクルマももう10年位で消えてしまうのか・・・

 

 

つい最近、近所に住む親戚が比較的高級なハイブリッド車を購入した。

 

お酒を飲まない自分はたびたび親戚一同の送迎などの運転手として活躍するので

クルマの運転に慣れて欲しいとの依頼があり、親戚の家に数回訪問して運転の練習をす

ることになった。

 

軽い気持ちで返事をしたのだが、親戚の家にクルマを見にいって開口一番

「取扱い説明書を貸してください。今日は乗れませんw」

 

いままで乗ったクルマは仕事で乗るものも含めて大概はどんなに大きかろう小さかろう

が、すぐ運転出来る共通性があったのだが・・・操作方法が違う、違いすぎる、

新車に長らく触れていなかったせいもあるのだろうが・・・それにしても違う。

 

ところが、自分にとってこんなにも先進的な「ハイブリッド車」はもちろんの事

プラグインハイブリッド車でさえもが将来的に販売禁止になってしまうのだ・・・

blog.evsmart.net

もはや「ブーブー」を買う事や乗り続ける事が出来なくなる時代に

いつのまにか突入していたのだ。

 

長らく内燃機関の発明から世界の構造を大きく変えてきた自動車産業

審判が時代終了のホイッスルを口に咥え、時計をチラチラ見始めた今。

 

もはや運転を楽しめる夢の時間はすでにロスタイムに「突入していた」事に

戦慄を覚えた。

 

 GT3の咆哮を一度も経験しないまま、フェラーリサウンドを奏でないまま

AMGの野太いV8の叫びを聞けないまま人生が終わる可能性がある現実。

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最近発表されたポルシェタイカンやテスラの「キュイーン」という高音質のノイズは

決して嫌いなわけではない。海外ドラマ好きの自分としてはスタートレックの構築して

いる世界が徐々に近づいているようにも思えて楽しみでもある。

 

それでも死ぬまでに一度はメカニカルな「ノイズ」に包まれながら思う存分

サーキットを走ってみたい。

 

だが、過去に存在した名車の数々を展示する自動車博物館にはそう遠くない将来、

「過去存在した、”道路”上を騒音と排気物質で満たし数えきれない多くの人を殺傷して

きた悪魔のような装置」として陳列される日が来るのかもしれない。

 

そして、おそらくその日は想像以上に近い。

愛するものとの出会いが人生を左右する

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自室のテレビを処分してから久しいが、それでもネット上の動画で

明石家さんま師匠の出る番組は時間を置いても必ず見るようにしている。

 

理由は簡単で、「歳を重ねても常に笑いに対して貪欲である姿」

を目に焼き付ける為である。

 

実は自分は若かりし時代の師匠の人気番組の数々のほとんど

をまったく見ていない。

 

記憶にあるのは笑っていいとも!でのタモリさんとの雑談コーナーと

ひょうきん族でのブラックデビル時代のみだろうか?

ドラマも一切見ていない。

 

その当時ノリノリの師匠の番組を見ても何も感じなかったと思う。

 

天才的な才能の持ち主が時代の流れに見事に乗って成功している

当たり前の姿を見させられても面白いとは思えなかったのかもしれない。

 

だがここ数年、特にご自身が引退を予定されていた60才前後から

さんま師匠の番組はネットで追っかけ視聴して出来るだけ見るようにしている。

 

当時も、そして今も本当の意味では分かっていないかもしれないのだが

師匠の笑いに対する凄まじいまでの矜持がやっと分かってきたからなのかもしれない。

 

そして今後の自分がその年代に差し掛かった時、最前線で活躍し続けるには

どのような秘訣があるのだろうかと目を皿のようにして分析しているのだ。

 

その為、ここ最近は必然的にお笑いの世界というものに対して

多少の知識を持ち合わせるようになった。

 

そんな中、先日見た師匠の番組に非常に興味を抱いた場面があった。

 

そのやりとりがあったのは先日放送された「明石家笑業高校修学旅行」

という特番の中での出来事だった。

 

番組の内容は明石家さんま師匠と実力派のお笑い芸人数十名が2日間に渡って

東京から京都への旅行の間、ただひたすらボケ倒すという素晴らしい企画だ。

 

自分が番組全体を通じての感想は、明石家さんま師匠ご自身が若手として

出演されていた伝説の番組「ヤングおー!おー!」での桂三枝師匠(現文枝

の役割を見事に引き継いで、将来性のある若手芸人を縦横無尽に回されていた姿に

まるで時代を超えた現代版の「ヤングおー!おー!」を見させてもらっているようで

非常に感慨深かった。

 

その番組内で、現在も大人気で将来的には今後のお笑い界を牽引していく存在になって

いくであろうミキの昴生さんがさんま師匠にどうしても聞いておきたいという質問が

あるという場面があったのだが↓以下

 

「前、駐在さんに出させて頂いた時に(注 今年2月に大阪行われた公演。

自分はこの動画が面白すぎて5〜6回は見ている)、

laughmaga.yoshimoto.co.jp

個人的なあれで申し訳ないんですけど・・・

本番始まる直前のリハーサルで

ボクが出てって、さんまさんが来はるんですけど

そこで

「おー、キダタローの息子」って言われたんですよ。

でボク、なんの事か分からへんくて、それ言われた時に。

えっ?どういうこと?ってなったんですよ、急で。

キダタローさんに息子いはって、その人がボクそっくりなんやと思って

なんか、ハイっ!て言うしかなかったんですよ。

で、それ本番でも言われて返すことできへんくて。

で家帰って相談したんですよ、同期に。

あれ返されへんかったんやけど、どう言う事かなあって・・」

 

つまりミキの昴生さんは、今年2月に行われた公演の

たった一回のやりとりの「正解」をこの番組収録があるまでの

数ヶ月間ずーっと考えながら(当時相当落ち込んだらしい)

過ごしてきたと言うのだ。

 

自分はこの公演を時々見返しているのだが、昴生さんのこのシーンに関しては

さんま師匠が昴生さんのイジられキャラを活かす為に

お得意の追い込み芸(そんな芸あるのかしらんが、例:「例えば?」「なんでや?」)

で追い込まれた芸人のギリギリの反応で笑いをとる、ある意味「正解」だった

ように思っていた。

 

実際、この直後の場面で実力派の中川家 礼二さんでさえも

さんま師匠からの新しいフリに適応出来ずw素の返しで笑いを誘っていたし、

この質問そのものに対しても今田耕司さんからの厳しいダメ出しで笑いを生んでいたの

だが・・・。

 

昴生さんのようなプロとして生きる人の視点では違っていたようだ。

 

本気である世界の頂点を目指そう、もしくは生きていこうという人たちには

このような些細な部分でのミスやズレにものすごく敏感だという事だろうか。

 

考えてみれば、さんま師匠自身が現在も自分の出演番組を後で必ず見直し、

「あの時、ああすればもっと良かったんちゃうか。」と自己検証しているのは

有名な話だ。

 

そこまで自分の仕事に全力でコミットメントしている若手と大御所芸人の姿を

見るにつけ

「好きこそものの上手なれ」

の意味を本当に噛みしめている。

 

自分は毎日毎日の業務をただ「こなして」いけばいいだけの

いわゆる単純労働者と言える立場におり、

ある閾値を越えれば、そこからスキルを限界まで「向上」していっても

報酬には一切反映されないし、評価もされない。

 

そんな男であるがゆえ、さんま師匠や昴生さんのような自分の仕事・役割に対して

真摯に立ち向かう一流芸人さんの姿を見るにつけ

「この人のモチベーションはいったいどこから湧き上がってくるのだろう」

と、常に感心させられているのだ。

 

番組の中で見る彼ら一流芸人は確かに成功したいと思ってはいるのだろうが

稼ぐ為だけにお笑い芸人をしているとは到底思えない場面に遭遇する。 

 今田耕司さんに至っては現在のTV界において欠かせない役割を果たしているにも

関わらず、この番組内では未だに若手芸人を差し置いて全裸で出演している(爆)

彼らは、根本の部分でお笑いが大好きで、笑いが人の人生を変えて

しまう場面に出くわしたとか、笑いが生む人の繋がりに心を奪われてしまったとか

、要するにお笑いを心の底から愛しているに違いない。

なんでもいい。

 

自分が心の底から好きになれるものに出来るだけ人生の早い段階で

出会えたかどうかが人生の質を左右するようだ。

時代性(ネチェシタ)

 

先日、東京に久しぶりに赴いてからここしばらくの間

何もせずただ、ぼーっと考え事をする時間が増えていた。

 

気温の寒暖差が激しい秋のせいもあるのか

、春や夏ほど活発な動きが出来ていないのも

理由のひとつなのだろうが、地元に帰ってきてから

内面からやる気というものがいまひとつ湧き上がってこない。

 

ただただ頭に浮かぶ考えは

 

「なぜ、自分はあそこ(東京)にいる事が出来ないでいるのか」

 

考えていてもしょうがないの事なので

とにかく手を動かしてブログを書いて収益化するなり

東京で転職活動するなり、資格でもスキルアップでも

とにかくやれる事はなんでもすればよいのだろうが

頭の中では、それらがうまくいくような成功への道筋が

まったく描けていない。

 

やる気も起きないのでとりあえず、仕事帰りに

自室の本棚にある本を何冊かめくっていくと

ふと手を止めて、没入できた本があった。

 

マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)

マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)

 

君主論”でおなじみのマキアヴェッリの他の著作も含めた

冷徹な見識に溢れた語録集だ。

 

気分的に想像や妄想の世界に偏っていた自分を

彼の現実的な思考に裏打ちされた珠玉の言葉たちが

沈む気持ちを現実世界に引き戻してくれた。

 

これは先日ブログで紹介した”偶然の統計学”が数学的、統計学的な見地から

現実に引き戻してくれるのと似たような感覚だ。

tokyomesen.hatenablog.com

 

ゲームの仮想空間ではだれもがゲームデザイナーが構築した

世界の中で英雄にでもなれるのだろう。

 

仕事の休憩時間、スマホを握りしめて対戦ゲームに明け暮れる職場の

オッサンたちはしばし数インチの画面の中で英雄になりきっているようだ。

 

だがマキアヴェッリが生きた時代の英雄こそ、自国内の政争や隣国との

領土戦争の過程で突きつけられるギリギリの判断や行動が国家・国民、

ひいては自らの生命に直接的に反映された結果生き残る事が出来た

勝利者、真の英雄ではないだろうか。

 

ぼけーっと考え事をしている無駄な時間はもうない。

 

マキアヴェッリの言葉は苦しい現実を生きていようがなんだろうが

漫然と生きている現代の弱者や自分のような低所得者には特に重く響く。

 

それは自分自身が生きた時代に翻弄され、最後には奴隷同然の

立場で死を迎える可能性がある事を浮き彫りにさせてくれるからだろう。

 

例え一時的な気晴らしに成功したとしても、その時はいずれやってくる。

f:id:mrnancy:20191120142056j:plainThe Murder of Rutland by Lord Clifford, by Charles Robert Leslie

薔薇戦争 - Wikipedia

 

そんな恐怖感を味わいながらこの本を読み進めていたら、

無性に肉が食いたくなって(笑)毎日肉料理、休日には必ず地元のステーキ専門店で

がっつり食べるようになった。

 

そうか、おまえはまだ生きたいのだなw

 

やる気も気持ちも前向きに戻りつつある中、マキアヴェッリの語録の中で

ピンポイントで刺さった言葉があった。

 

『時代性 Necessita(ネチェシタ)』

 

なぜ、時代性を重視するかというと、

人間というものは、

名誉であろうと富であろうと、

各自が目的と定めたことの実現に向って進む時、

種々さまざまな生き方をするものだからである。

 

慎重にやる者もいれば、大胆果断にやる者もいる。

力で押していく者もいれば、技を駆使する者もいる。

忍耐に忍耐を重ねて実現する者もいれば、

その反対をやって成功する者もいる。

〈中略〉

この理由は、一に、彼らのやり方が

時勢と合致していたかいなかったかにあるのだ。

 

とはいうものの、時代の変化に対応して、

自らの生き方を変えていけるほどの賢明な人物は、

それほど多くはないものである。

 

なぜなら、人間は生まれた性向から

なかなか離れられないものだからだ。

〈中略〉

それゆえ人間は、

自分流のやり方をつづけても

時勢に合っている間はうまくいくが、

時代の流れにそわなくなれば失敗するしかない、

ということである。

 

マキアヴェッリ語録 第三部 人間篇

時代性について

 

昔々、予備校の先生と今後の自分の学習方針についての

話し合いで、成績も落ち込んでいなかったことから

学校のカリキュラムを守っていくのではなく、

あくまでも自己流の学習方法の継続を主張したのだが

その先生が最後に一言

 

「おまえは結局自分で解決方法を見つける男なんだよな〜」

 

と、ぼそっと言われて、その時の話し合いは終了した。

 

その時はそれを「褒め言葉」だと捉えて、その後も事あるたび

その言葉の通りに行動していた。

 

俺は俺、他人は他人。俺は俺を主張するだけ。

いやならついてくるな。

 

その方法で問題を乗り越えた事も多くあったが、それでも今振り返ってみると

もっと良い考え方はいくらでもあったし、失敗したままで解決不能

の状態もままある。

 

つまり、あれは先生の「褒め言葉じゃなく諦めの言葉」だったんだなと

今現在の自分の経済的な環境が教えてくれている。

 

マキアヴェッリの時代のように判断や行動のミスが

直接的な生死に関わる事はないと勘違いしているが

現代はそれが長く緩慢になっただけで、実際に勝者と

敗者は過去の歴史と同じく厳然と存在する。

 

唯一の助けは、最後の日まで時間を稼いでいる状態が長いので

(平均寿命が伸びた事も幸いして)

「その時代に合わせて再スタートを切れる可能性が高い」

という事だけだ。

 

要するに、敗者復活戦というやつを

生きている限り毎日続ける意思を持ち続けるということだ。

 

と言う事で、ブログ100記事目は

マキアヴェッリのこの言葉で閉めたい。

 

きみには、次のことしか言えない。

ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように

 

「やった後で後悔する方が、

やらないことで後悔するよりずっとましだ」

 

という一句だ。

緑多き街、東京

先日、取引先の研修からの帰りの時間に

久しぶりの好天に恵まれた東京で散歩を満喫する事が出来た。

 

ブログにその時の事を書こうか迷っていたところ

タイミング良く、リクルート住まいカンパニーが企画する

 #住みたい街、住みたかった街

というはてなブログのお題キャンペーンが催されていたので今回それに

乗っかって書いてみることにした。

 

中学生の頃、たびたび親に部活の朝練に行くと嘘をつき

早朝から家を飛び出すとそのまま在来線経由の

特急列車に飛び乗って片道2時間半。

 

ひとりで東京に行っては、夕方には帰宅する行為を

幾度となく続けていた時期があった。

 

当時も今も男子中学生の東京観光の目的地といえば、

渋谷・原宿・新宿といったところ賑やかな街が定番だろう。

 

だが、自分は不思議とそういった賑やかな街には興味を示さず

当時の終着駅 上野駅に隣接する不忍の池のほとりのベンチに

ひとり3〜4時間ただぼーっと何もせず座って周りの景色を眺めていた。

 

当時は自分がそんな逃避行を繰り返していた明確な理由をいまいち

認識していなかった。

 

ただ、明確な理由がない旅こそがもっとも贅沢な時間の使い方なのだ

という事はその当時からなんとなく分かっていたような気がする。

 

でも、なぜ不忍池だったのか?

 

東京という街はもちろん計画的に設計された”都市”なのだが

そこには田舎街ではほとんど見られない

「緑が街の中に計画的にデザインされている」場所である

ということなのだ。

 

Google Mapで東京を俯瞰してみると緑は決して多くはない。

 

だが、街に調和した素晴らしい公園が数多く存在している。

上野恩賜公園などはその代表例だろう。

 

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(以上すべてフリー素材)

当時、高層マンションは無かったがそれでも当時の面影は今も残されている。

 

当時、自分は田舎の緑に慣れきってしまっていたようだ。

 

山々に囲まれた盆地生まれの少年は、山や緑の中に小さく埋もれた村落の光景に

飽き飽きしていたのかもしれない。

 

子供時代は上野動物園にやってきたカンカンとランランという

2頭のジャイアントパンダが社会現象を巻き起こしていた時期に当たっていた。

 

御多分に洩れず田舎の少年にもそのブームは聞き及び、都内の親戚訪問時にどうしても

上野動物園に行ってみたいと願い出て、ついにその日がやってきた。

 

ただその日は上野動物園は休園日でランランとカンカンの記念切手と

記念スタンプを郵便局で押してもらうだけに終わったのだが・・・。

 

それでも少年の目にその日散策した上野恩賜公園の街と調和した美しさは

はっきりと刻まれた。

 

その日以来、自分は最新の建築物と緑が調和した東京という街を愛し続けている。

 

 

先日、東京では湾岸で「第46回東京モーターショー」が開催されていた。

 

研修帰りに寄ろうと思ったのだが、いかんせんポルシェが今回出展を

取りやめたのが痛かった。

もし出展されていたら、今年日本に上陸した新型911で盛り上がっただろう。

ポルシェの出ていないモーターショーに行く気には到底なれなかった。

 

という事で、今回の東京散歩はオリジナルの

東京モーターショー in AOYAMA」と銘打った好天の青山通りに林立する

高級自動車メーカー巡りをしようと思い立った。 

 

東京メトロ 青山一丁目駅から表参道駅に向かって青山通りを南下して

歩いていくと世界的な高級車メーカーのギャラリーが目白押しだ。

 

本田技研工業本社を起点としてポルシェセンター青山を終点とする

(地図上ではアルファロメオ青山まで記してある)約1.5kmの道のり↓

神宮外苑のいちょう並木が間に入っているが、この道は東京屈指の美しさを誇る

広い直線道路で普段滅多にお目にかかれないスーパーカーのオーナーたちや

クルマたちを美しいいちょうの木とともに写真に収める人たちが大勢詰めかける

高級車の聖地のような場所でもある

休日にはこういう場所でのんびりしたいものだ

緑と調和したレクサス青山

表参道

東京に来ると、地元で日常的に目に入る緑とはまったく別物の緑がそこにある。

 

 

より緑を美しく際立たせる洗練された美しい街の姿が東京の最大の魅力だ。

 

冬になり、緑の葉がすっかり落ちたとしても美しいイルミネーションが

春の若葉が萌える時期まで街を彩ってくれる。

 

住みたい街はもちろん 緑多き街、東京。

 

 

 東京モーターショーin AOYAMA

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街