エクスポネンシャルライフ

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近所に高校野球を見にいってみた(上)

休日の朝、突然叔母から「孫がそちらの家の近くの球場に出場するから」

との連絡が入った。秋に行われる高校野球大会のシード校を決める選手権らしい。

 

聞くとプレイボールはあと1時間もない。

さっさと身支度をすませ車で球場に駆けつけた。

幸い、家から球場までは5分もかからない。

 

実はこの球場、今年の3月にオープンしたばかりのピカピカの新球場だ。

 

その為、こけら落としのイベントが続けざまに行われたのだが、自分は

全く行かなかったし、行く気も起きなかった。

 

現在のこどもたちはサッカーを始め、いろいろなジャンルのスポーツ活動を

選べる機会が多くなったと思うのだが、自分の幼少時には野球しかなかった。

 

自分はとくに体力に自信がある訳でもなかったのだが、プレー人数不足の為

ほぼ強制的に地元の少年野球団に参加させられた。

案の定、大した活躍もせず自主的に1年位で退団したと思う。

 

少年野球で一番の思い出といえば、遠征先の大会でショートを守っていた際

3〜4連続エラーで大量失点の原因を作り、帰りのバスの中で身を潜めていた事だ。

 

「ショートを狙っていけ!穴だぞ!」という相手のヤジ通り、立て続けに

球が飛んできて、そこからパニクって自滅した記憶が鮮明に残っている。

 

今考えると、内野ゴロがショートに飛んでくる確率は当然高い訳で

相手の打者も決して狙っていた訳ではないと思うのだが、その時は

まるで自分を狙い打ちしてくるかのような仕打ちに思えた。

 

結局、自分にとって「野球をプレーする事」は楽しいものではなくなった。

 

自分には父親がいないので、このような逆境にさらされた時

どう対処したらいいのかの良いお手本も周りにおらず、

こういった失敗を糧に、練習を重ねて再挑戦するような気持ちは

当時の自分には育まれなかった・・・

 

 要は、逃げたのだ。

 

こういう、こどもの頃のなにげない小さな選択の積み重ねが

人生の後半になってとてつもない差になって現れてくるのだはないだろうか。

経済的にも、精神的ににも。

 

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今回自分にとって、親戚の子のプレーを観戦するのが新球場のこけら落とし

となった。

 

球場到着後、プレイボール前の電光掲示板に親戚の子の名前を探すのだが

「あいつ、どこ守ってるのかな?もしかしたらベンチスタートかな?」

などと探していると、彼の名前の上に背番号1の数字が表示されているではないか!

 

背番号1?おいおい、まさか!

 

ほどなくして、

「背番号1 ピッチャーSくん」と告げる場内アナウンスが・・・・

 

おまえ、先発エースピッチャーかいw

 

野球というスポーツは投手が常に究極的に中心の存在だ。

行動の全てがまず投手で始まり、投手だけで完結してしまう事もある。

 

その中心的存在にあいつがいるとは・・

 

彼が対戦するのは、誰もが知る春夏甲子園の常連強豪校。

 

久しぶりに野球に心が踊ってきた日の始まりだった

つづく